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ORICON NEWS杉良太郎、戦争根絶へ必死の訴え
俳優・歌手の杉良太郎(80)が9月30日、都内のホテルで行われた『芸能活動60年 福祉活動65年 傘寿「感謝の宴」』を開いた。
【写真】寄り添いながら…夫婦愛が垣間見えた伍代夏子と杉良太郎
杉は、1965年に歌手としてデビュー。“杉様”の愛称で知られる。俳優としてテレビ朝日系『遠山の金さん』など、時代劇を中心に活躍。また、民間人初の特別矯正監(法務省)に選ばれる。福祉活動に対する精力的な活動が認められ、平成20年『春の緑綬褒章』を受章した。芸能活動60年、デビュー前の15歳から始めた福祉活動も傘寿を迎え、65年となった。
衆議院議長の額賀福志郎氏、自由民主党元幹事長の二階俊博氏、元総理の菅義偉氏、公明党代表の山口那津男氏、国民民主党代表の玉木雄一郎氏ら政財界からも列席者が。芸能界からもテリー伊藤、坂本冬美、山本譲二、山川豊、シーザー武志、的場浩司、瀬川瑛子、船越英一郎、小橋健太、みずき舞、弦哲地、野村忠宏、コロッケ、田辺靖雄、山崎玲奈、鈴木亜美、高橋みなみ、島谷ひとみ、高島礼子、MAXのNANA、MINA、LINA、金原亭馬生、野口総一、桂才賀、神田勘太朗、紫とも、いではく、水森英夫、島津悦子、石原詢子、多岐川舞子、大石まどか、岩本公水、椎名佐千子、二宮さよ子、山田純大、EXILE HIRO、EXILE ATSUSHIも出席した。
『感謝の宴』では、妻の伍代夏子とデュエット「angel 天使を見つけた」を披露。芸能活動の映像だけでなく、福祉活動の映像も流された。最後に行われた謝辞では戦争根絶に向けた熱い訴えも。EXILE ATSUSHIは何度も涙を拭うなど号泣する場面もあった。
■杉良太郎の謝辞
本日は、大変貴重な 時間をいただきまして、遠いとこからも私のお祝いに駆けつけていただいたこと、感謝いたしております。私は性格上、デビューをした時からこんなんです。20歳でデビューをしました時に、新聞記者の方ら「何が難しいですか?」という質問で「人間関係です」と。同日デビューをした新人がそういった答えをすることはなかったようですが、私にとっては今でも人間関係が難しいんです。難しい人間です。私は名優の息子でもなく、御曹司でもありませんので、自分で編み出し、自分の芸を磨く。そして皆さんに喜んでいただく。平たく言いますと、私の家は貧乏でしたから、親に楽をさせてあげたい。自分は働いて働いて、給料袋を切らないでお母さんに給料を渡すんだ、ということをずっと考えて生きてきました。そのためには、苦労することが自分の栄養になり、自分のためになるんだ、苦労を買って出るんだっていう、文字通り人生を送りました。
芸能界に御曹司でもなく、名優の息子でもない、ボウフラのようにわいて出てきた役者は、なかなか生きていくのは大変でした。そのためには、自分が体を張って、なんでも自分が一心に、なんでも自分で受けて、私はズタズタになろうと、プロダクションがあっても誰1人、マネージャーも誰も代わってくれる人はいませんでした。全部自分でやったんです。そして日本一のギャラを取るようになりました。そこでプツンと切れて「人生これでいいのかな」、「人気とはなんだ」とまた難しく考えるようになった。
私の生きる道は芸道だけではない。何か世の中のために1つでも役に立ちたいんだっていう気持ちはずっとありました。親に言われたわけでもなく、中学3年生で刑務所で歌を歌ったのが最初なんですけれど、その頃から養老院をめぐって、また身障者の子どもたちのところへ行くという習慣がついていったんです。
こういった性格ですから、本音しか言えません。建前ができません。考えてみると、心から心から笑っている写真はあまりない人間です。ほとんどが作り笑いで、心から笑えない自分がいます。私が80歳になって思い残すこと、まだやりきれていないこと、絶対にやれないことですが1つ大きな思いを持っています。それは、国連という国際機関がありながら、なぜ国の首脳は戦争を起こすのか。なぜ人間は殺し合うのか。戦争を止めなければ明日はないと思います。欲にまみれて、領土やなんだかんだと、そういったいろんな言いがかりをつけて、なんで今もなお戦争か。これからも戦争か。
国連で首脳が演説をして、だからなんだ。演説をしたからなんだ、なんかなったのか。何にも変わってないじゃないですか。なんで人は立ち上がらないのか。なぜ自分事のように考えられないのか。他人事なのか。他国のことか。それがずっと思いにあります。
人間がちっちゃい。私はそのためなら命もいらない。飛び込んでいって死んでやろうと思うような気持ち、今でもあります。なんでそういった人たちが増えてこないのか。だから、我が事のように、我が事として考えられたら。他人事だから特殊詐欺もなくならないんです。自分は騙されない、と。自分はおそらく死なないぐらい思ってるんじゃないか。私は情けないと思いますが、80歳になっても90歳になっても、その思いだけは生きてる限りは叫び続けていきたいと思っています。
頭のいい人ばっかりが集まって なんで戦争を起こしているのか。兵器を作って開発して何になるのかぐらいわからんのか。
それでも人間は死んでいく。金持ちでも地位のある人でも、命に限りがあるのに。なんで、その道へ走っていくのかわからない。そんな話ぐらいしたらどうかと。選挙に勝ってどうする。勝ってそれからどうする。自分のこと考えて政治をやっちゃいかんと思う。もっともっと文化人は文化の力で突破していかなきゃいけないと思う。みんなの力を借りて1つになって、少なくとも日本が世界をリードしていくぐらいの気概がなくてはいけないと思います。どうせ定年が来て、墓に入るしかないんだから。なんたる生き様なんだろうと。だから毎日、私は笑顔になれない。何が楽しい。楽しくない。
そんな時にこういった自分のためのパーティーをやって…。途中でやめようかなって何回も思ったんですけど「迷惑がかかるから最後までやりなさい」って言われて…。皆さん、そういった話をする機会をみんなで持とうじゃないですか。そしたら世界は救われますから。
今日、私とEXILE ATSUSHIが2人で身障者のものすごい立派な詩を書いていた。(脳性まひで体が動かず)字が書けないんです。だから常に先生が(わずかに動く指先から)暗号のような字を読み取るんです。菜穂(詩人の堀江菜穂子)ちゃんが会いに来た。「ずっといられないんだけど、会いたいから」と。
何が言いたいかっていうと、バングラデシュも今、騒動が起きている。バングラデシュも25、6年前にダッカで(孤児院の)愛の姉妹会、マザー・テレサさんの施設で親が子どもの両足を切って、愛の姉妹会の前に親が捨てるんです。そしたら施設が拾ってくれて、命だけは助かる。栄養失調の子どもたちがずっと並んでいて、丸坊主で瞬きするエネルギーがない。皆さん、瞬きをするのにエネルギーが必要かと考えたことあります?飴を1個しか持っていなかった。その飴をぺろりと舐めるのに時間がかかる。エネルギーを持ってない。2、3回舐めたんでしょうね。最後、帰る時に私に手を振りました。瞬きをできない子が帰る時に手を振りました。世界にはどんだけかわいそうな子どもたちがいるのか。そこに爆弾が降ってくる。
自分のこととして捉えて、ちょっと考える時間、または力を貸してください。私は行けって言ったら、命懸けで飛び込んでいきますから。(妻の伍代夏子と)25年間連れ添っておりますけれど、これでお別れになるかもしれません。覚悟を持って今後も杉良太郎は生きていきます。ありがとうございます。
(提供:オリコン)
2024/9/30 22:05 配信
戦争根絶へ必死の訴えを述べた杉良太郎(C)ORICON NewS inc.
【写真】寄り添いながら…夫婦愛が垣間見えた伍代夏子と杉良太郎
杉は、1965年に歌手としてデビュー。“杉様”の愛称で知られる。俳優としてテレビ朝日系『遠山の金さん』など、時代劇を中心に活躍。また、民間人初の特別矯正監(法務省)に選ばれる。福祉活動に対する精力的な活動が認められ、平成20年『春の緑綬褒章』を受章した。芸能活動60年、デビュー前の15歳から始めた福祉活動も傘寿を迎え、65年となった。
衆議院議長の額賀福志郎氏、自由民主党元幹事長の二階俊博氏、元総理の菅義偉氏、公明党代表の山口那津男氏、国民民主党代表の玉木雄一郎氏ら政財界からも列席者が。芸能界からもテリー伊藤、坂本冬美、山本譲二、山川豊、シーザー武志、的場浩司、瀬川瑛子、船越英一郎、小橋健太、みずき舞、弦哲地、野村忠宏、コロッケ、田辺靖雄、山崎玲奈、鈴木亜美、高橋みなみ、島谷ひとみ、高島礼子、MAXのNANA、MINA、LINA、金原亭馬生、野口総一、桂才賀、神田勘太朗、紫とも、いではく、水森英夫、島津悦子、石原詢子、多岐川舞子、大石まどか、岩本公水、椎名佐千子、二宮さよ子、山田純大、EXILE HIRO、EXILE ATSUSHIも出席した。
『感謝の宴』では、妻の伍代夏子とデュエット「angel 天使を見つけた」を披露。芸能活動の映像だけでなく、福祉活動の映像も流された。最後に行われた謝辞では戦争根絶に向けた熱い訴えも。EXILE ATSUSHIは何度も涙を拭うなど号泣する場面もあった。
■杉良太郎の謝辞
本日は、大変貴重な 時間をいただきまして、遠いとこからも私のお祝いに駆けつけていただいたこと、感謝いたしております。私は性格上、デビューをした時からこんなんです。20歳でデビューをしました時に、新聞記者の方ら「何が難しいですか?」という質問で「人間関係です」と。同日デビューをした新人がそういった答えをすることはなかったようですが、私にとっては今でも人間関係が難しいんです。難しい人間です。私は名優の息子でもなく、御曹司でもありませんので、自分で編み出し、自分の芸を磨く。そして皆さんに喜んでいただく。平たく言いますと、私の家は貧乏でしたから、親に楽をさせてあげたい。自分は働いて働いて、給料袋を切らないでお母さんに給料を渡すんだ、ということをずっと考えて生きてきました。そのためには、苦労することが自分の栄養になり、自分のためになるんだ、苦労を買って出るんだっていう、文字通り人生を送りました。
芸能界に御曹司でもなく、名優の息子でもない、ボウフラのようにわいて出てきた役者は、なかなか生きていくのは大変でした。そのためには、自分が体を張って、なんでも自分が一心に、なんでも自分で受けて、私はズタズタになろうと、プロダクションがあっても誰1人、マネージャーも誰も代わってくれる人はいませんでした。全部自分でやったんです。そして日本一のギャラを取るようになりました。そこでプツンと切れて「人生これでいいのかな」、「人気とはなんだ」とまた難しく考えるようになった。
私の生きる道は芸道だけではない。何か世の中のために1つでも役に立ちたいんだっていう気持ちはずっとありました。親に言われたわけでもなく、中学3年生で刑務所で歌を歌ったのが最初なんですけれど、その頃から養老院をめぐって、また身障者の子どもたちのところへ行くという習慣がついていったんです。
こういった性格ですから、本音しか言えません。建前ができません。考えてみると、心から心から笑っている写真はあまりない人間です。ほとんどが作り笑いで、心から笑えない自分がいます。私が80歳になって思い残すこと、まだやりきれていないこと、絶対にやれないことですが1つ大きな思いを持っています。それは、国連という国際機関がありながら、なぜ国の首脳は戦争を起こすのか。なぜ人間は殺し合うのか。戦争を止めなければ明日はないと思います。欲にまみれて、領土やなんだかんだと、そういったいろんな言いがかりをつけて、なんで今もなお戦争か。これからも戦争か。
国連で首脳が演説をして、だからなんだ。演説をしたからなんだ、なんかなったのか。何にも変わってないじゃないですか。なんで人は立ち上がらないのか。なぜ自分事のように考えられないのか。他人事なのか。他国のことか。それがずっと思いにあります。
人間がちっちゃい。私はそのためなら命もいらない。飛び込んでいって死んでやろうと思うような気持ち、今でもあります。なんでそういった人たちが増えてこないのか。だから、我が事のように、我が事として考えられたら。他人事だから特殊詐欺もなくならないんです。自分は騙されない、と。自分はおそらく死なないぐらい思ってるんじゃないか。私は情けないと思いますが、80歳になっても90歳になっても、その思いだけは生きてる限りは叫び続けていきたいと思っています。
頭のいい人ばっかりが集まって なんで戦争を起こしているのか。兵器を作って開発して何になるのかぐらいわからんのか。
それでも人間は死んでいく。金持ちでも地位のある人でも、命に限りがあるのに。なんで、その道へ走っていくのかわからない。そんな話ぐらいしたらどうかと。選挙に勝ってどうする。勝ってそれからどうする。自分のこと考えて政治をやっちゃいかんと思う。もっともっと文化人は文化の力で突破していかなきゃいけないと思う。みんなの力を借りて1つになって、少なくとも日本が世界をリードしていくぐらいの気概がなくてはいけないと思います。どうせ定年が来て、墓に入るしかないんだから。なんたる生き様なんだろうと。だから毎日、私は笑顔になれない。何が楽しい。楽しくない。
そんな時にこういった自分のためのパーティーをやって…。途中でやめようかなって何回も思ったんですけど「迷惑がかかるから最後までやりなさい」って言われて…。皆さん、そういった話をする機会をみんなで持とうじゃないですか。そしたら世界は救われますから。
今日、私とEXILE ATSUSHIが2人で身障者のものすごい立派な詩を書いていた。(脳性まひで体が動かず)字が書けないんです。だから常に先生が(わずかに動く指先から)暗号のような字を読み取るんです。菜穂(詩人の堀江菜穂子)ちゃんが会いに来た。「ずっといられないんだけど、会いたいから」と。
何が言いたいかっていうと、バングラデシュも今、騒動が起きている。バングラデシュも25、6年前にダッカで(孤児院の)愛の姉妹会、マザー・テレサさんの施設で親が子どもの両足を切って、愛の姉妹会の前に親が捨てるんです。そしたら施設が拾ってくれて、命だけは助かる。栄養失調の子どもたちがずっと並んでいて、丸坊主で瞬きするエネルギーがない。皆さん、瞬きをするのにエネルギーが必要かと考えたことあります?飴を1個しか持っていなかった。その飴をぺろりと舐めるのに時間がかかる。エネルギーを持ってない。2、3回舐めたんでしょうね。最後、帰る時に私に手を振りました。瞬きをできない子が帰る時に手を振りました。世界にはどんだけかわいそうな子どもたちがいるのか。そこに爆弾が降ってくる。
自分のこととして捉えて、ちょっと考える時間、または力を貸してください。私は行けって言ったら、命懸けで飛び込んでいきますから。(妻の伍代夏子と)25年間連れ添っておりますけれど、これでお別れになるかもしれません。覚悟を持って今後も杉良太郎は生きていきます。ありがとうございます。
(提供:オリコン)
2024/9/30 22:05 配信
戦争根絶へ必死の訴えを述べた杉良太郎(C)ORICON NewS inc.