FMK エフエム・クマモト

社史

『子供たちがくれた勲章』が平成3(1991)年日本民間放送連盟賞のラジオ教養番組部門で最優秀賞、第7回文化庁芸術作品賞を受賞。地元のAMラジオ局RKKとサイマル放送(1月1日午前1時~3時)実施。100%出資の子会社エフエムケイ・プランニング設立。『ニニ・ロッソ』『14KARAT SOUL』コンサート実施。

主な出来事

カナダ周遊10日間ツアー

平成3(1991)年6月、リスナーを募って、カナダ周遊10日間ツアーを実施。入社6年目の池田美保が同行取材した。
澄んだ空が眩しいバンクーバー、バスの車窓から見る子グマの姿、息を呑むほど美しいターコイズブルーのルイーズ湖・・・。しかし、旅は順調なばかりではなかった。
『赤毛のアン』の舞台・プリンスエドワード島へは、国内線の小型旅客機での移動だが、旅行会社がリスナー30人分の席を確保できず、やむなく2班に分かれることに。1班は添乗員が付き添い、残る15人は〝添乗員初体験〟の池田が率いて別便で行かざるを得なくなった。張り裂けそうに膨れ上がる不安を胸にしまい、池田は笑顔で、なんとか大役を果たした。
「あのツアーで、カナダの大自然のように、人生を大きく見渡す心を持ちたい、と強く感じた。〝音で描く〟ことへのこだわりは、いまも変わらない」と池田は言う。

初の民放連最優秀賞

『子供たちがくれた勲章』が平成3(1991)年日本民間放送連盟賞のラジオ教養番組部門で最優秀賞を獲得した。開局10年に満たないFMKにとって初めての快挙だった。
伊井純子が企画、制作したもので、不治の病に侵された教師と生徒の交流を描いた作品。命ある限り教壇に立ち続ける中学教諭と生徒、周りの人々との絆の深さを感動的に伝えた。
同部門の審査委員長を務めた萩元晴彦氏(テレビマンユニオン・プロデューサー)は『月間 民放』でこう評している。
「エフエム中九州の作品『子供たちがくれた勲章』が最優秀作と決定した。これは特筆に値する。各地区の予選参加作品を聞いていると、エフエム局の作品は経験の不足から、物を作る、人に伝えるという作法の基本的な部分での欠落や誤謬が多い。率直に言って私にはエフエム局のレベルは一段低いという認識があったのだが、この作品は立派なものに仕上がっていた。
難病を宣告された中学教師が教壇に立ち続ける姿を描いたものだが、何よりも登場するすべての人物のインタビューが素晴らしい。ラジオ番組では制作者が対象に肉薄し、その心を開かせて真実が語られることによって映像に対抗し得る。この作品はそれを実現した最近では出色の出来栄えとなっていた。また病気に対する正確で分かりやすい情報が伝えられていたことも評価された」

冒険ロマンチスト

平成3(1991)年秋、新たなステーションコンセプトの策定に入った。開局以降のキャッチコピーは
「新しい風」(昭和60、61年)
「おしゃれな時間、ほしいネ」(昭和62年)
「いつもときめいて」(昭和63年、平成元年)
「心がしゃべり始めました」(平成2年)
「HAT(ハッと!)」(平成3年)
このように、1、2年ごとに模様替えしてきた方針を変更。長期間にわたって使用し、連動した企画等も実施していこうという新しい試み。その結果、紡ぎ出されたのが『冒険ロマンチスト』だった。
『冒険』も『ロマンチスト』も個別には使い古された言葉だが、2つの言葉をつなげた『冒険ロマンチスト』というフレーズに、新しいFMKの方向性を込めたい、との意図があった。
『冒険ロマンチスト』は平成11(1999)年まで使用され、このコピーのもと、『冒険ロマンチスト大賞』という顕彰企画が生まれた。「ロマンあふれる行動で夢にチャレンジし県民に大きな感動を与えた個人や団体を表彰する」というコンセプト。
外部有識者を含めた選考委員会により、第1回冒険ロマンチスト大賞には、『カントリーゴールド』コンサートを立ち上げ、本場アメリカからも大きな評価を得るビッグイベントに成長させたカントリーミュージックのチャーリー永谷氏が選ばれた。
発表・贈賞は毎年8月、熊本市産業文化会館での『FMK火の国フェスティバル』(コンサート・講演会)の席で行った。

JFN海外研修

全米放送事業者協会(NAB)は、アメリカの地方ラジオ局と民間テレビ局を統括する団体で、毎年、総会と同時に放送機器の展覧会『NAB展』を開いている。
JFNは、このNAB総会に研修団を派遣、FMKからも数年おきに参加している。
世界最大にして最新鋭のラジオ業界の集まりはラジオの未来を探るものとして刺激に満ちており、あわせて多数のラジオ局を見学できる。

エフエムケイ・プランニング

平成3(1991)年11月1日、FMKの100%出資による子会社エフエムケイ・プランニングがスタートした。
衛星放送の進展、高音質デジタル放送の実用化、AMラジオのステレオ化、CATVの発達、コミュニティFMのスタートなど放送業界の環境は激変しつつあった。
そんな中、社業の拡大・発展を目指すには別会社を作る必要があった。放送は免許事業であるため、業務展開に制約がる。
本社から部長が出向して支配人となり、同じく出向社員1人のほかプロパー2人の計4人という陣容。『見えるラジオ』への対応やコミュニティFMに関わる業務等を想定しての船出だったが、当初からイベント関係の実施運営が業務の中心となった。
FMKミュージックサロンやFMKカップソフトバレーボール大会など本社主催行事の企画運営のほか、単発では南こうせつ(平成4(1992)年、南小国町)をはじめ国内外のミュージシャンのコンサート等を多数手がけた。
だが、取り巻く環境の変化などから、平成18(2006)年、15年間の歴史の幕を下ろした。

この年の出来事

4月
  • 日ソ親善オペラ「アリアの夕べ」を県立劇場で開催
6月
  • FMKカナダ周遊10日間のツアー
7月
  • 第5回JFN・CMフェスティバル
    • 部門最優秀賞「正義の味方篇」(農協共済連)
    • 地域優秀賞「こんな名前の車があったら篇」(日産モーター)

    を受賞

8月
  • 「リ・オスカー&WARライブ」を上通フィーリングホールで開催
9月
  • 映像とサウンドのXビジョン(上通)から公開生放送「MachitamaFIX」(月~木曜16時~16時55分)始まる
  • 「FMKカップ’91ソフトバレーボール」を県立総合体育館で開催
  • 「子供たちがくれた勲章」が日本民間放送連盟賞ラジオ教養番組部門最優秀賞を受賞
10月
  • 「NTTそよ風トーク」が「NTTミュージックシャワートーク」に木馬座ぬいぐるみ人形劇「白雪姫と7人のこびと」を県立劇場で開催
  • 特別番組「松前重義その波乱の生涯」放送
11月
  • (株)エフエムケイ・プランニング設立
12月
  • 「14KARAT SOULコンサート」を県立劇場で開催
1月
  • RKKラジオとの新春共同番組「おめでとうKUMAMOTO’92」放送
  • 「冒険ロマンチストキャンペーン」始まる
3月
  • 「子供たちがくれた勲章」が文化庁芸術作品賞を受賞