10周年企画として「愛」「地域社会」「国際社会」「地球環境保護」をテーマに番組・イベント等でキャンペーン展開。4月『見えるラジオ』スタート。聴取率は占拠率46.1%で他局を大きくリード。営業現場にパソコン導入。
主な出来事
見えるラジオがスタート
平成7(1995)年4月、FMKを含むJFN系列全局が一斉に『見えるラジオ』のサービスを開始した。
見えるラジオは、音声放送電波の隙間を使って文字情報も伝えるもの。放送中の楽曲情報(曲名、歌手名)や天気予報、ニュースなどが専用受信機の液晶画面に表示された。
最初に発売された唯一の受信機はカシオ製のMRー1。続いてパナソニックからも発売され、量販店に『見えるラジオ』のコーナーも設置された。
その後、画面が大きくて見やすい『パパラビジョン』やタクシー用の『タクシージーコム』も登場。耳で聴くラジオを目でも楽しめるという面白いネーミングと発想の事業ではあったが、電波を利用した種々のシステムが続々登場したこともあり、平成26(2014)年3月、サービスを終了した。
「NA TSU ME」が民放連優秀賞に
ラジオドラマを作ろう、とFMKが最初にトライしたのは、平成4(1992)年5月にオンエアした『遷都物語 THE LIFE OF KUMANOSUKE』だった。
熊本演劇界の重鎮・渡辺恭士氏を主役に迎え、「戦後、もし熊本が日本の首都だったら・・・」というSF的設定をフェイク・ドキュメンタリーの形式でドラマ化。〝地方分権〟が叫ばれ始めた日本を反映したコメディーラジオドラマで、実験的作品だった。
初めて手がけた本格ドラマで手ごたえを得たスタッフは、翌年の年明け特番『おめでとうKUMAMOTO ラジオ・バトル’93 ドッキン・オン』で新しいドラマを企画。RKKラジオとのサイマル放送となったこの番組で初披露したのが『NA TSU ME THE ADVENTURE OF MR SOHSEKI』だった。
第五高等学校で教鞭をとっていた夏目漱石が、弟子の寺田寅彦らと共に、悪の秘密結社・天狗党と戦う、という荒唐無稽なストーリー。史実に材をとりながらもSF的設定で壮大なイメージを膨らませる展開は、『遷都物語』から引き継いだ手法だった。
主演の漱石役は、当時『ラジオDO!』で昼の看板だった川上鴻一郎、ヒロインに局アナの松添かおり、ラスボスとなる悪役・伊集院伯爵に『サウンド・グラフィティ』の小松士郎というキャスト。脚本・小山紀之、音響監督・占部裕、演出・岐部俊夫のチームは『遷都物語』からの連続登板だった。
このオンエアが好評だったことから、一部を追加収録して『NA TSU ME完璧版』を作成し、平成7(1995)年の日本民間放送連盟賞に出品。優秀賞を獲得し、新しいラジオドラマのあり方として、業界に一石を投じた。
この年の出来事
- 4月
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- 熊本、人吉、阿蘇、南阿蘇、御所浦、小国でFM文字多重放送を開始
- 鶴屋ウイング館にパパラビジョン設置
- 「見えるラジオ」放送スタート
- 「モニラ」(月~木曜8時20分~10時40分、金曜8時20分~9時50分)スタート
- 「FMKサンデージャーナル」(日曜20時~20時55分)スタート
- 「ハイカラタイムマシーン漱石がゆく」(金曜15時25分~15時55分)スタート
- 5月
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- 開局10周年記念「ハルフレッドハウゼ・タンゴオーケストラ・コンサート」を熊本市民会館で開催
- 開局10周年記念「NOBUKO TRIOくまもとコンサート」(ゲスト:雪村いづみ、湯川れいこ)を県立劇場で開催
- JFN賞
- CM大賞・コピー賞・制作者賞「ビックリ人間」(熊本日産自動車)
- 部門最優秀賞・出演者賞「言葉にならないゆったりをしよう」(黒川温泉山みず木)
を受賞
- 8月
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- 開局10周年記念「FMK・火の国フェスティバル’95 冒険ロマンチスト 吉村作治講演会」
- 冒険ロマンチスト大賞を谷口巳三郎夫妻「タイの農業指導」に贈呈
- 開局10周年記念「ガイヤシンフォニー フライングエレファンツ」
- 9月
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- 防災の日 モニラ公開特別番組(1日8時20分~10時40分)
- ACC賞
- 秀作賞「ポケットベルかんちがい」(KNS)
- 奨励賞「言葉にならないゆったりをしよう」(黒川温泉山みず木)
を受賞
- 11月
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- 「パワーウェーブ」スタート
- 10周年記念パワーズオーディションを実施、パーソナリティーなど一般公募
- 開局10周年記念「レーナ・マリア心の響きコンサート」を県立劇場で開催
- 10周年サウンドロゴをニューヨークで制作し、オンエア
- 2月
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- 夏目漱石来熊100周年記念愛称募集「わが輩通り」で決定
- 3月
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- 10周年ファイナル アスペクタ発アトランタ行き「クイズジャンボリー」大会実施
- 東京支社移転