放送部で『プログラム』『ミュージック』『ニュース』のラボ制度スタート。ウイークデーの午後に生番組を追加、月~木の8時20分から21時までのほとんどが自社制作に。聴取率は週平均3.7%、占拠率49.8%で他を圧倒。営業収益11億円台に。
主な出来事
牛深中継局の開局
牛深中継局は、山間部の多い牛深地区に電波を届ける目的で平成8(1996)年3月、天草市牛深町遠見山(国立公園)に送信出力10W、送信周波数76.9MHzで4月1日から運用を開始した。
置局のための技術検討は比較的順調だったが、対外折衝に多くの時間を費やした。設置に当たり、新過疎法の適用で牛深市が建設費の一部を負担した。
熊日に出向
平成8(1996)年、取材の基礎を学び経験させるため、放送部員の富岡弘展を熊本日日新聞社に出向させた。
以下、富岡の体験談。
◇ ◇ ◇
『熊日ではさまざまな部署を経験したが、特に印象深かったのが社会部。なかでも、警察担当は、精神的にも体力的にも大変だった。各警察署に通いつめて人間関係をつくることから始めなければならない。TVドラマと同じである。
ワープロとポケットベルが必須の道具。原稿を送ると数分後には社会部デスクからのポケベルが鳴る。恐る恐る電話をすると、しばしばでっかい雷が落ちた。数日で、完全にポケベル恐怖症になった。いつもポケベルのバイブがなっている感覚に陥る。眠れない。24時間、恐怖の連続だ。
社会部は飲み会も恐ろしい世界だった。飲むことにかけては父親譲りの〝自信〟があったが、とんでもない。
そんな社会部時代の最後に「自分でネタを見つけて書いてみろ」と任されて書いた記事が〈街を歩けば〉。
せっかくだから自分らしいものを書いてみよう、とその年に〝生誕30周年〟を迎えたウルトラマンをピックアップ。ウルトラマンランドや鶴屋のおもちゃ売場に足を運び、製造元のバンダイに電話取材し、思いのたけを書きつづった。自分の趣味を仕事に生かすという、このときばかりは、実に楽しいひとときだった。
熊日出向で得たもの。正しい言葉の選び方と使い方。分からないことは徹底的に聞き、調べる。真実を伝えるため、さまざまな角度から取材を行う。ついでだが・・・なぜか警察署内の銀行ATMは、込み合う月末でもだいたい並ばずに利用できる・・・』
この年の出来事
- 4月
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- 牛深中継局開局
- 「パワーレディオ」スタート
- 「モーニングウォーカー」(月~金曜8時20分~10時40分)スタート
- 「AFTERNOON CHAT」(月~木曜14時~15時55分)スタート
- 「DD4 to7」(月~木曜16時~19時)スタート
- JFN賞
- 部門優秀賞・コピー賞「車のひとりごと篇」(熊本日産自動車)
- 部門優秀賞「鬼の記者会見篇」(JA共済)
を受賞
- 8月
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- 有明町四郎ヶ浜ビーチから「シーサイドステーション」(5~8日14時~20時55分)(4日間)生放送
- 第5回冒険者ロマンチスト大賞に熊本凧の会
- 10月
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- 男子世界ハンドボール選手権大会200日前イベント「FMKスポーツファッションコンテスト」を熊本城笹園特設ステージで開催
- 12月
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- 「星空のアダージョ コンサート」を県立劇場で開催