FMK エフエム・クマモト

社史

昼間の時間帯に10年ぶりJFNC制作番組を放送。びぷれす熊日会館NEWーS地下1階にサテライトスタジオ完成。APS更新。聴取率は9年連続トップ。

主な出来事

沖津相談役合同告別式

初代社長だった沖津正巳相談役が平成13(2001)年8月23日夕刻、急性肺炎のため熊本市内の病院で亡くなった。84歳だった。
沖津は、創業時の社長としてエフエム中九州の基礎を築き、平成2年から同10年までは会長として社業の発展に尽くした。平成10年に相談役となって以降、体調を崩し入院加療中だった。
社葬の準備を進めたが、沖津が生前、熊本県文化協会とつながりが深かったことからエフエム中九州と県文化協会沖津家の三者による合同告別式となった。
9月17日午後1時から熊本市民会館で開いた合同告別式には、およそ300人が参列。宗教色を排した告別式は、たむけの仕舞など文化人・沖津にふさわしいシンプルかつ感動あふれるものとなった。

沖津相談役への追悼の言葉

沖津さん、あなたがこよなく愛し、育ててこられたエフエム中九州の役員、従業員、OB、OGたちを代表して、お別れの言葉を申し述べます。
沖津さん、今あなたの霊前に立って、あなたと交わした最初の言葉を思い出します。「そういうことで・・・」とだけ、あなたは言って、ちょっと笑い、「よろしくお願いします」とだけ言って、私は頭を下げました。それだけでした。わずか5~6秒。その間に、私の全身を熱い電流が走ったような気がしました。昭和59年の初秋、ホテル・キャッスルの南玄関でした。
その2年前に、熊本地区に民間FM放送の電波割り当てがあり、163の会社設立の申請がありました。郵政大臣の依頼を受けて細川知事が調整に当たり、それが11グループに絞られ、さらには一本化に成功した、というニュースが流れていました。
あとは、誰がその経営の衝にあたるかに関心があった頃で、2人は別々に「沖津社長、長谷川専務」との内意伝達を受け、その直後に偶然、顔を合わせたのでした。
あなたは熊本県文化協会の副会長として、エッセイストとして、またかつては佐竹商店の敏腕支配人として、つとに有名でした。私は熊日情報文化センター社長をしていましたが、直接お会いしたのはこのときが最初でした。
12月に入って会社設立のための発起人会が開かれ、私たち2人のほかに実務スタッフとして熊日から3人、RKKから2人の部長クラスが決定し、合わせて7人の侍がエフエム中九州の設立準備室で初顔合わせをしました。クリスマスの日でした。ジングルベルを聞きながら、一杯酌み交わして結団式をやりました。「まるで討ち入り前夜だな」とあなたは笑われました。新しい出発を前に、みんながちょっとばかり緊張の面持ちだったからです。その席でわたしたちは『FMK酒の憲法』を申し合わせました。
「発言自由、発想自由。老若男女すべて平等。酒席の決定、すべて無効。翌日確認、初めて有効」というものです。酒の席は全く無礼講で大いに論議し、奇抜でユニークなアイディアを出そう。壮大な夢を描こう。ただし、決定は翌日酔いがさめて冷静になってから、というわけであります。この『憲法』はその後、大いに成果をあげました。
昭和60年4月1日、株式会社エフエム中九州は正式に創立しました。5月に社員募集、7月1日入社式。沖津社長以下、現業27人の体制でした。大学を出たばかりの新人をはじめ新聞、テレビ、ラジオの出身、広告代理店や商事会社、化粧品、電気メーカーの経験者もおれば、役所の幹部、議員秘書あがりもいました。「まるで合衆国ですね」と顔を見合わせて笑いました。
私たちは、FMKのイメージづくりから仕事を始めました。まっさらのカンバスに新しいFMKをデッサンするような、緊張と喜びがありました。「歴史のない会社が、歴史を作る作業です。一つずつ、少しずつ、形を整えながら前進しよう」とあなたは言われました。
7月中旬、阿蘇内牧で全員が参加して、FMKの創業トレーニングと称する合宿勉強会をやりました。その最後の日、全員でFMKにふさわしいイメージは何かを討議しました。そして出来上がったのが〝清潔で、若々しく、小さいけれどダイナミック〟というFMKの開局のスローガンであり、現在の社是であります。「いいのが出来た。ほんとうにいいのが出来た。これだよなぁ、わが社のイメージは」とあなたは喜ばれました。
あなたは社員教育を非常に重視されました。好評だったのは、自ら先頭に立っての沖津流放送人研修でした。新入社員に対する社長じきじきの講義が数多く組まれ、その講義の場所はたびごとに変わりました。市民会館、図書館、県立劇場・・・それぞれの施設を見学した後、そこの会議室を借りての講義です。話は生き生きとして楽しいものでした。
こんなこともありました。たしか遠藤周作の作品だったと思います。全員が交互に朗読し、感想を述べた後、「さあ、作者への手紙を書こう」というわけです。その手紙に対しては、幾人かに作者自身からの返事が来ました。若い彼や彼女たちにとっては、大変な感激であったと思います。
月1回の全体会議では「経営や現場のことは専務がやれ」ということで、沖津社長はもっぱら『戦争と平和』や『復活』などのトルストイの作品を中心に、かみ砕いた文学論、人生論をみんなに話されました。そのような雰囲気の中で後年、民間放送連盟賞や数々の日本的な賞を受けるような感性豊かな、スケールの大きい社員たちが育っていったのだと思います。
FMKの開局は会社設立から半年後の昭和60年11月1日でした。社長以下の全幹部や放送部員たちがスタジオの床に座り込み、「JOSUーFM」のコールサインが電波となって全県下に流れ出す感動を味わったものでした。
エフエム中九州の経営の基本理念は「身はつつましく、夢は大きく」という言葉で表現されています。開局記念式典の社長挨拶の中で、あなたが経営の所信として述べられたもので、ローカルFM局の厳しい行く手をしっかりと見据えた金言として、業界でも評判になった言葉であり、FMKの社訓であります。
すでに低成長時代の兆しが見え始めていました。国の政策は多局化による競争激化です。かつてのテレビ全盛時代のようにバラ色の将来は描けない。その認識のもとに、経営は慎ましく、しかし第一線の諸君は夢と理想を大きく掲げ、青雲の志をもつ若々しいチャレンジ集団に、ということであります。
沖津さん、あなたはその理念通りのFMKをつくり育ててこられました。5年後の平成2年には代表取締役会長に、10年には取締役を辞して相談役に就任されましたが、当初の計画通りにFMKは開局5年後に単年度の黒字、7年後には累積赤字も解消し、開局10周年には売り上げ10億円の達成を祝いました。
放送番組の制作やCM制作の面でも、数多くの日本一の栄誉を重ねてきました。いまやJFN37社の中で、その牽引車の一角として頑張っております。すべてはあなたの撒かれたタネの成果です。あらためて深く、深く感謝をし、御礼を申し上げます。
あなたには、残された3冊の著書があります。『赤の他人』『鬼のガラヴァ』『古琴の友よ』。知性とユーモアに溢れ、ほのぼのとした温もりを感じさせるのは、あなたの人柄のせいでしょうか。生きてこられた人生の起伏の大きさが、読者を感動させます。
FMKが初めてJFNのCM大賞を受けた折の、あなたの軽妙洒脱な素敵な受賞挨拶は、いまも語り草になっています。『古琴の友よ』の熊日出版文化賞の受賞祝賀会の夜の珍しくはにかんだ顔、第1回を熊本に誘致された国民文化祭が大成功裏に終了した日の晴れ晴れとした笑顔、熊本県近代文化功労者受賞の日の厳粛な口元・・・。身近に接することができたのは16年たらずの短い期間でしたが、折々の厳しい顔、喜びの表情が目に浮かびます。
熊本の文化運動の旗手として、文化協会の要としての数々の業績はすでに周知の通りであります。本当にいろいろのものを教えていただきました。
これから、私たち民間放送の業界もますます厳しくなっていくと思われます。しかし、私たちFMKの全役員、従業員は、経営の規模は小さいけれども、エリア内人口390万人のマスメディアであり、その影響力と社会的責任の大きさを自覚しながら放送人としての責務を全うしていきたいと思います。
経営もすべての業務も、つねに大きな夢を持ち、清潔で、若々しい感性と、創意と活力に溢れたダイナミックなものであるべく努力を続けていく覚悟です。
沖津さん。長い闘病生活でしたが、信子夫人の献身的な看護は、はた目にも胸を打つものがありました。あなたもうれしかったと思います。
沖津さん。ありがとうございました。安らかにお眠りください。
合掌。
平成13年9月17日
株式会社エフエム中九州 代表取締役社長 長谷川孝道

アメリカ同時多発テロに遭遇

平成13(2001)年9月11日、アメリカ・ニューヨークで発生した同時多発テロは、世界中を震撼させた。ちょうど放送部長の永松英視が現場近くに居合わせた。
ニューオリンズでのNBAラジオショーにJFN海外研修団の一員として参加していた永松は同地での日程を終え、8日にニューヨーク入りしていた。
11日朝、バスの出発にあわせて帰りの荷づくりをしていると「同時多発テロ発生」の一報。宿舎は7番街に面したシェラトンNYで、7番街を西に車で10分ほど走れば世界貿易センターである。
空港のほかマンハッタン島を取り巻く橋やトンネルが封鎖され、ホテル内でもたびたび厳重なチェックが行われるようになった。
「しかし、ホテルを一歩出ると街の様子は昨日までと変わりなく、通りはショッピングをする観光客であふれていた。通りからは煙も見えず爆発音もせず、実感はなかった」と永松は振り返る。
10本ほどあるホテルの公衆電話は長蛇の列で、しかもなかなかつながらない。そんな状況の中、JFN番組で6回、エフエム東京フルネットで2回の現地リポートを実施。FMK単独でも『HYPER・MORNING・TRAX』と『お昼もGAMADAS』で合計3回、ニューヨークから永松の声が流れた。

この年の出来事

4月
  • 「pep Lounge」(月~木曜14時~15時55分)スタート
  • 「LUV LUCKY Jam」(月~木曜16時55分~19時55分)スタート
  • 技術部設置
8月
  • 沖津相談役死去
  • 「お昼もGAMADAS STEELトークライブ」をサンパレス熊本で開催
9月
  • 米国の同時多発テロに永松放送部長遭遇、現地から生レポート
  • FMK、県文化協会、沖津家で故沖津相談役の合同葬
10月
  • 「FMKカントリーゴールド2001トレインパーティー」をアスペクタで開催
  • 「ウイハン弦楽四重奏&川口みさきジョイントコンサート」を熊本市産業文化会館で開催
11月
  • 「ROCK BUSTER’01」をBATTLESTAGEで開催(出演:HARRY、龍之介、YKZ)
12月
  • 「阿蘇クリスマス・バルーンイリュージョン」(23日18時~19時55分)を放送(出演:ルーシーケント)
3月
  • APS更新